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  • AutorenbildShigeyuki Miyagawa

押す文化、引く文化


西洋ノコギリと日本ノコギリ

 ドイツにて木彫の学校に通い始めまだ間もない頃のことである。週一回行われていた「木工、指物」の授業で初めて西洋のノコギリというものを手にした。

 この、今まで本や図鑑でしか見た事がなかった伝統的な西洋ノコギリは、アルファベットのHを横に長く引き延ばしたような形のフレームを持ち、その上下の開口部の一方にノコ刃、もう一方にはノコ刃のテンションを保つ為のよじった針金が張ってある。

 そして決定的に違うのは、日本のノコギリの様に手前に引いて挽くのでは無く、向こうに押して挽くということであった。

 熊のような巨体の講師は手本として、万力でがっちりと固定した角材をもの凄い勢いで挽き切って見せてくれた。肘をまっすぐ突き出すように、というアドバイスを念頭に置きつつも、しかし実際にこの西洋ノコギリを自分で試してみると、もちろん初めて手にした不慣れもあるはずだが、ノコ刃の部分よりも圧倒的な部位をしめている空中にそびえるH型のフレームの重量で手首がふらつき、また突き出して切るという動作には全身の力が必要で、まともに挽き切る事は出来なかった。

 体も汗ばんで来た頃、ここで諸君にこれを見ていただこう、と講師がクラスに示したのは、私がよく見慣れた日本のノコギリ、「Japansäge、ヤーパンゼーゲ」だったのである。

 講師はここから実例を示し、資料を配布し、相当な時間をこのヤーパンゼーゲの説明に費やした。 彼のレクチャーを一言で要約すれば、日本のノコギリは西洋の物より優れている、ということであった。

なぜか。


ヤーパンゼーゲの優位点


 西洋ノコギリの場合、ノコ刃を材木の中に向かって突っこんでさらに向こうへ送り出すので、これから材木に突入する刃の後続部分が、突かれる力に負けてグニャリと曲がってしまわないようノコ刃に強度を与える必要がある。そのためH型のフレームの反対側に針金を貼ってノコ刃にテンションを加え、刃自体も厚くしてやる必要がある。

 しかし奇跡的にも「刃を手前に引く」という動作を選択した日本のノコギリは、強度の要求から解放されているので可能な限り軽く薄く作る事が出来る。(コピー用紙でお豆腐を押して切る事は出来ない。しかし引いて切る事はできる。)それゆえ材木のカットで損失される刃の幅、「挽き代」は少なくて済むし、細かい細工にも対応できる。

 H型のフレームなど必要ないので、ノコ刃の両側に刃を設けて、一枚で縦挽き横挽きの二つの機能を持たせる事も出来る。

 それだけではない。この横挽きの刃をよくみると、我々のノコギリのようにただの三角形が並んでいるのではなく、もう一段角がありこれには理由がある。さらに「アサリ」といって歯を互い違いに配置する工夫によって、、、、

 私はクラスでただ一人の日本人であったのだが、何か自分が「日本代表」にでもなったような、誇らしいような気まずいような居心地の悪い思いでこの説明を聞いていた。


押すのか 引くのか

 日常生活でも「押す」「引く」の違いに気付いたことがあった。

 ドイツに住み始めてアパートに掃除機を買い、何気なく掃除を始めると、いつものように腕を動かしているつもりが、なにか引っ掛かってぎこちない。

我が家の掃除機は由緒正しいMiele社製の物である。どうやら私は身についているままに無意識に手前に「引く」動作で掃除機を掛けているのだが、掃除機の方は向こうに「押す」動きに対応するようになっているようなのだ。

 視線を床に近づけてヘッド部分の挙動をよく観察して見ると、床に当てて向こうに押した際には床を全面で捉え、手間に引く際は床面との間にカタカタと隙間が出来ていた。

 掃き掃除のホウキも、こちらではデッキブラシのような形状が一般的で、手前から向こうに押し出すという動作で床を掃く。日本の箒は自分に向かって一直線ではないにしろ、向こうから手間斜めに掃いていくのが普通ではないだろうか。


西洋の剣、日本の刀

 このような、動作のベクトルの違いはどこからきたのだろうか。

まず私の頭には、西洋の剣と、日本刀の違いが浮かんだ。フェンシングしかり、まっすぐで両側に刃を持つ西洋の剣は「突く」ために作られている。他方、日本刀は片刃で緩やかな反りがあり、血生臭い話だが、実際には叩き込んで手前に「引き」切ると聞いた事がある。

 さらに大陸的思考と島国的思考という差にまで想像が及んだ。

今日の平和なドイツは9つの国と接している。肌の色、言葉、宗教、習慣の違う人たちが隣になることは全くの日常である。大陸における今日に至るまでの長い争いの歴史を思うと、四方八方から押し寄せる異教徒、異民族の脅威から自分達を守るにはどんな力が必要だったろうか。とにかく敵を、異物を、自分の境界から外に突き返す「突く」力だったのではないだろうか。

 他方、他国と陸で一切接しない、ほぼ単一文化の単一民族が住む島国日本は、古来、漢字を取り入れ、宗教を取り入れ、ハイカラとあれば他国の文化技術を取り入れてきた。その中で身に付いたのは、とりあえず何でも招き寄せる「引く」動作だったのではないだろうか。

 少なくとも工房の私の周りでは「引いて」切る日本ノコギリは完全に定着している。工房でヤーパンゼーゲを見ない日は無い。


(それから)


 上記はもう何年も前に書いたものだが、最近中国のノコギリも手前に引くということを知った。

 私は日本の昔の絵巻に大工や職人が地面にべったりと座って仕事をしているのが描かれているのを見て、これも日本が「引く」動作を選択した一要因ではないかと考えていた。

 しかし椅子とテーブルの文化を持ち、ヨーロッパと地続きの大陸の中国でも手前にノコギリを引くとあっては、私の仮説もそもそも疑問提起も見直さなければならない。

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